「なんのこと」ってなんのこと?
(前編)は→こちら
「子どもの日」が近づくと、毎年どこかで耳にする「せいくらべ」の歌。
歌詞をおさらいすると
はしらのきずはおととしの
ごがついつかのせいくらべ
ちまきたべたべにいさんが
はかってくれたせいのたけ
きのうくらべりゃなんのこと
やっとはおりのひものたけ
この最後の2行が「なんかよくわかんない」
ということで、そこに焦点を絞ります。
〈わかんないポイント1〉
「なんのこと」ってなんのこと?
〈わかんないポイント2〉
「やっと羽織のひもの丈」ってどういうこと?
自分の勝手な見解では、
「昨日、比べてみたら、なんてこった
おととしの柱の疵は
(今の自分が着ている)羽織の紐の高さくらいしかないよ。
ちっちゃかったんだなぁ。僕。」
つまり、この2年ですっかり大きくなった少年が、2年前の自分の背丈を測った柱の疵を見て「こんなに小さかったんだなぁ」と感慨にふけってるのかな…と思ったわけです。
「なんのこと」は「なんてこと」に読み替えて、感嘆の意味ととりました。
でも、2年前には、現在の自分が着ている羽織の紐の高さしかなかった…とすると、ちょっと身長が伸びすぎじゃない?
と、感じたのが、そもそもの疑問です。
そこで、ちょこっと調べてみると・・・
ポイント1の「なんのこと」は
「なんのことはない」「とるにたらないこと」
と、いう解釈が多かったです。
ポイント2の「羽織のひもの丈」は
・「羽織の紐の長さ(十数センチ)」そのもの
・背丈を測ってくれた兄さんが着ている羽織の紐の高さ
という解釈が多かったです。
この2つをふまえると、
A)2年かかって、「羽織のひもの長さ分(十数センチ)」しか背が伸びてなかったよ(もっと伸びてると思ったのに)たいしたことなかったなぁ
または、
B)おととしの柱の疵の高さは、背丈を測ってくれた兄さんの羽織のひもの高さまでしかなかった
という解釈が多かったことになります。
C)おととしの柱の疵の高さは、(今の自分の)羽織のひもの高さしかない
という私と同じ考えの人もいたので、だいたいこの3パターンの解釈があるみたいです。
でも、それぞれに疑問が残りまくりです。
A)は「羽織のひもの長さ分」といってるわけですから、羽織のひもを「物差し」のかわりにしているということになります。わざわざ、そんなことする? 例えとして変じゃない?
B)は「なんで2年前の柱の疵」と「昨日の兄さんの羽織のひもまでの高さ」を比べてるの? 元々、背丈を測ってもらった弟の歌なのに、なぜ、兄さんと比べるの?
C)は2年前と比べて、(今の自分の)羽織のひもの高さから頭の先までの分、身長が伸びた。5~60センチあるよね。そんなに一気に伸びる?
ね、ますますわけがわからなくなったでしょ?
ちなみに、
作詞をした「海野厚(うんのあつし)」さんは大正時代に活躍した方で、出身は静岡県。(2番の歌詞では「富士山」とほかの山々が背比べをしています)
7人兄弟で、年の離れた弟さんがいたということです。
歌詞では「2年前に兄さんに背丈を測ってもらった男の子」が自分のことを語っています。
だけど実際には「海野さんが弟の背丈を測ってあげた」ときのことを歌詞にしたのかもしれません。
結局、謎は謎のままなのですが、
「日本人なら誰でも聞いたことのある有名な歌」なのに、じつは意味がわかってなかった…というのが、一番の謎かもしれません。
◎「せいくらべ」
作詞:海野厚(うんの あつし)
作曲:中山晋平(なかやま しんぺい)
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