日常の小謎(11)~背比べの歌の謎(後編)

その他いろいろ

「なんのこと」ってなんのこと?

(前編)は→こちら

「子どもの日」が近づくと、毎年どこかで耳にする「せいくらべ」の歌。

歌詞をおさらいすると

はしらのきずはおととしの
ごがついつかのせいくらべ

ちまきたべたべにいさんが
はかってくれたせいのたけ

きのうくらべりゃなんのこと
やっとはおりのひものたけ


この最後の2行が「なんかよくわかんない」

ということで、そこに焦点を絞ります。

〈わかんないポイント1〉

「なんのこと」ってなんのこと?

〈わかんないポイント2〉

「やっと羽織のひもの丈」ってどういうこと?

自分の勝手な見解では、

「昨日、比べてみたら、なんてこった

おととしの柱の疵は

(今の自分が着ている)羽織の紐の高さくらいしかないよ。

ちっちゃかったんだなぁ。僕。」

つまり、この2年ですっかり大きくなった少年が、2年前の自分の背丈を測った柱の疵を見て「こんなに小さかったんだなぁ」と感慨にふけってるのかな…と思ったわけです。

「なんのこと」は「なんてこと」に読み替えて、感嘆の意味ととりました。

でも、2年前には、現在の自分が着ている羽織の紐の高さしかなかった…とすると、ちょっと身長が伸びすぎじゃない?

と、感じたのが、そもそもの疑問です。


そこで、ちょこっと調べてみると・・・

ポイント1の「なんのこと」は

「なんのことはない」「とるにたらないこと」

と、いう解釈が多かったです。

ポイント2の「羽織のひもの丈」は

・「羽織の紐の長さ(十数センチ)」そのもの

・背丈を測ってくれた兄さんが着ている羽織の紐の高さ

という解釈が多かったです。


この2つをふまえると、

A)2年かかって、「羽織のひもの長さ分(十数センチ)」しか背が伸びてなかったよ(もっと伸びてると思ったのに)たいしたことなかったなぁ

または、

B)おととしの柱の疵の高さは、背丈を測ってくれた兄さんの羽織のひもの高さまでしかなかった

という解釈が多かったことになります。

C)おととしの柱の疵の高さは、(今の自分の)羽織のひもの高さしかない

という私と同じ考えの人もいたので、だいたいこの3パターンの解釈があるみたいです。

でも、それぞれに疑問が残りまくりです。


A)は「羽織のひもの長さ分」といってるわけですから、羽織のひもを「物差し」のかわりにしているということになります。わざわざ、そんなことする? 例えとして変じゃない?

B)は「なんで2年前の柱の疵」と「昨日の兄さんの羽織のひもまでの高さ」を比べてるの? 元々、背丈を測ってもらった弟の歌なのに、なぜ、兄さんと比べるの?

C)は2年前と比べて、(今の自分の)羽織のひもの高さから頭の先までの分、身長が伸びた。5~60センチあるよね。そんなに一気に伸びる?

ね、ますますわけがわからなくなったでしょ?


ちなみに、

作詞をした「海野厚(うんのあつし)」さんは大正時代に活躍した方で、出身は静岡県。(2番の歌詞では「富士山」とほかの山々が背比べをしています)

7人兄弟で、年の離れた弟さんがいたということです。

歌詞では「2年前に兄さんに背丈を測ってもらった男の子」が自分のことを語っています。

だけど実際には「海野さんが弟の背丈を測ってあげた」ときのことを歌詞にしたのかもしれません。


結局、謎は謎のままなのですが、

「日本人なら誰でも聞いたことのある有名な歌」なのに、じつは意味がわかってなかった…というのが、一番の謎かもしれません。

◎「せいくらべ」

作詞:海野厚(うんの あつし)

作曲:中山晋平(なかやま しんぺい)



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